「いう」と「ゆう」云々
※あくまでも個人の感想
ネットやSNSの発達によって人が気軽に物事を発信できるようになってもう数年。
本当にいろんな人がネット上でカジュアルに書き込みをしている。
どのような表現をしたいのか。
どのような距離感で発信するのか。
まあ、いろいろあると思うが。
「いう」を「ゆう」と書くのはなんなんだろう。
「こういう」を「こうゆう」。
昔から散見されていたので、今更どうこう言うものでもないんだけれど。
個人的には使わない側の考え。
劇中の人物の若者っぽさや幼さを表現する方法として使うならアリだと思う。
まあ、本記事で頭ごなしに否定する意図はないので、両者の立場を考えてみる。
使う側はどうなんだろう。
・口語的にすることでよりフレンドリーにしようとしている。
・考えをキーボードに乗せるスピード感を重視するあまり出てきてしまう。
・単純に文語・口語云々の学が無い。(ただし賢さとは直結しない)
みたいな感じかなあ。
使わない側はどうだろうか。
・まあ常識だよね、という考え。
・分かっていて使うんだとしたら痛々しいな、という気持ち。
みたいな感じか。
よっぽど文章の内容が面白ければアレかもしれないが、その手の表現を見ただけで内容をスルーする、重箱の隅をつつくように指摘する、あるいは読むこと自体を止める人がいるのも事実。
結局のところ、
使う人はTPOを考えた上で使う、使わない人は使わない、
でいいんじゃあないか。
筆を置くことにする。